LOUVRE - DNP MUSEUM LAB
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作品紹介
ルーヴル - DNP ミュージアムラボ 第8回展 来世のための供物展 古代エジプト美術から読み解く永遠の生への思い
内務の長サケルティのステラ
内務の長サケルティのステラ
アビュドス出土(推定)
中王国時代、第12王朝、センウセレト1世治世下
紀元前1970年‐紀元前1900年頃
石灰岩、彩色
高さ64cm、幅54cm
ルーヴル美術館、古代エジプト美術部門
所蔵番号E3113(C196)
1857年アナスタジ・コレクションより購入
© 2011 Musée du Louvre / Christian Décamps

この第12王朝時代の高官サケルティのステラは、中王国時代の個人の葬祭用ステラの.典型となっています。葬祭ステラは、神(サケルティのステラでは、冥界の主オシリス神)の加護を保証し、さらに来世で生きるために必要な供物、例えば食糧などを永遠に保証する役割を果たしています。この種のステラは、近親者が供養を行うために入ることのできた墓入口にある礼拝室に置かれていましたが、信仰の証として、オシリス神の聖地にあるオシリス神殿付近に造営されたセノタフ(空(から)墓(ばか)とも呼ばれ、遺体のない象徴的墓のこと)に置かれる場合もありました。このステラの上段には、サケルティが妻とともに食物が積まれた供物卓の前に彼の両親と向かい合って腰かけている場面が描かれています。下の2段には、死者への敬意を表し、墓に供物や葬祭用調度品などを運ぶサケルティの家族や召使いたちの行列が描かれています。また、サケルティの宣言文やサケルティのためにステラの前を通りかかる人に呪文を唱えるように促す「生者への呼びかけ」や定型の供養文が刻されており、図像の呪術的な効果を補っています。

王の長官ホルイルアアの供物卓
王の長官ホルイルアアの供物卓
サッカラ、ホルイルアア墓出土
末期王朝時代、第26王朝末
紀元前664年‐紀元前525年頃
玄武岩
縦60.5cm、横82cm、厚さ12cm
ルーヴル美術館、古代エジプト美術部門
所蔵番号E3867(D65)
1827年取得
© 2011 Musée du Louvre / Georges Poncet

この長方形の台に見える供物卓には、注口が設けられています。これは一般的な供物卓の形をしており、ヒエログリフで刻まれた文により囲まれた上部には、水を入れる2つの凹みが彫られ、巻かれたござの上に載せられたパンで表現されたヒエログリフ記号の「ヘテプ(「満足する」の意)」の装飾が浅浮彫りで施されています。この他に水を入れるヘス容器2点、丸いパン2個、「ケペシュ」と呼ばれる牛の前脚1本、下ごしらえされた鳥肉(糸で縛られたガチョウ)一羽が彫られています。刻まれている文は、オシリス神とプタハ神が、アンクホルとアトゥムイルデスの息子で大法官であったホルイルアアが来世で生きるために、王から十分な食糧を供物として得られるように祈願する2つの定形の供養文で構成され、2つは対称になるように配されています。供物卓の側面に刻された供物リストには、供物に関する詳細が正確に記されています。玄武岩は耐久性に優れており、これにより死者の延命を保証する飲み物や食べ物の存在や呪術的効果を永遠に保証することができました。墓の礼拝室では、供物卓は葬祭儀式の道具として使用され、神官が献水をおこない注口から水がこぼれるようになっています。

サムウトとムウトネフェレトの座像
サムウトとムウトネフェレトの座像
テーベ出土(推定)
新王国時代、第18王朝、トトメス3世治世下
紀元前1479年‐紀元前1425年頃
石灰岩、彩色
高さ37cm、幅19.5cm、奥行き21.5cm
ルーヴル美術館、古代エジプト美術部門
所蔵番号N54(A53)
1827年ドロヴェッティ・コレクションより購入
© 2011 Musée du Louvre / Christian Décamps

この彫像は、高めの背もたれのある椅子に腰かけた夫婦の姿を伝統的な姿勢で表現したものです。彼らは、両脚を揃え、腕を相手の肩に回し、また一方の手を腿の上に置いています。向かって右側にいる妻は、踝(くるぶし)まで覆う長い無地の衣装をまとい、シンプルな胸飾りを身につけています。頭には三部鬘と無地のヘアバンドをつけています。一方、男性は上半身が裸で、広がった鬘をつけ、踝まで覆う無地の長い腰布を着用し、布を握った右手を腿の上に置いています。彫像の前方が破損しているために、彼らの両足の先端は欠損しています。この彫像には、エジプト美術の約束事に従って塗られた褐色の男性の肌の色が残されていますが、女性の肌の色に使用された黄色の顔料は消失しています。夫婦の衣装の中央にそれぞれ刻された銘文によれば、トトメス3世の葬祭殿ヘンケトアンクの菓子司であったサムウトと彼の妻で家の女主人の称号をもつムウトネフェレトは供物を約束され、二人とも「声正しき者」とされ冥界に入ることが保証されています。また、椅子の側面に刻された縦5行のヒエログリフの供養文によって、死者それぞれに王からの供物が約束されています。

供物を運ぶ女性
供物を運ぶ女性
アシュート、ナクティ墓(7番)出土
中王国時代、第12王朝
紀元前1963年‐紀元前1786年頃
木、彩色
高さ57.7cm、幅11.3cm、長さ27.7cm
ルーヴル美術館、古代エジプト美術部門
所蔵番号E12029
発掘分配分
© 2011 Musée du Louvre / Georges Poncet

この女性小像は、古代エジプト人の葬祭信仰にとって、重要な人物を表現しています。死者が来世で生きるための不可欠な条件、すなわち死者が食事を永遠に取れるように、供物を運ぶ役目の女性です。この小像は、中王国時代のアシュートで製作された.典型的な作例で、この時代の地方有力者の墓の好例である、長官ナクティの墓から出土しました。類似した5つの彫像とともに、現世の道具や武器などさまざまな模造品のすぐ傍らに置かれていました。死者は、必要に応じ、これらのものを永遠に用いることが出来たわけです。また食べ物や飲み物の調達を永遠に保証するビール醸造所、肉屋の作業場、穀物置き場といった数々の小さな模型も置かれていました。ナクティのために供物を運ぶ女性は、肩紐がついた長い衣装を着用し、ビーズ・ネットの装飾が施されています。右手で生きたカモをつかみ、左手で頭に載せた重い籠を支えています。歩行の姿勢を示す前方に滑り出ている左足が、このような供物を運ぶ女性像の特徴をよく表しています。

供物台
供物台
古王国時代
紀元前2700年‐紀元前2200年頃
エジプトアラバスター(雪花石膏)
高さ10.3cm、直径41.8cm
ルーヴル美術館、古代エジプト美術部門
所蔵番号N1091
© 2011 Musée du Louvre / Georges Poncet
タチチシャ(ロメイン・レタス)の縮小模型
タチチシャ(ロメイン・レタス)の縮小模型
中王国‐新王国時代(?)
紀元前2033年‐紀元前1550年頃
木、彩色
長さ9.8cm、径2.6cm
ルーヴル美術館、古代エジプト美術部門
所蔵番号AF8965
© 2003 Musée du Louvre / Christian Décamps
羽をむしって糸で縛ったガチョウの模型
羽をむしって糸で縛ったガチョウの模型
サッカラ出土
古王国時代
紀元前2700年‐紀元前2200年頃
石灰岩、彩色
高さ10cm、長さ20.6cm
ルーヴル美術館、古代エジプト美術部門
所蔵番号E16262
© 2011 Musée du Louvre / Christian Décamps

この石製の「円卓」は、墓の中で行われる葬式や葬祭儀礼の際に、近親者や神官が、本物の食べ物を供えるための供物台です。今回の展示では、この上に、供物として作られた石や木でできた食べ物の模造品2つを置き、組み合わせて展示することで、エジプト人が、肉体が死んだ後の永遠の生命を保証するために、さまざまな解決策をもっていたことを説明しています。食べたり、飲んだりすることは、現世はもとより、来世で存在するためにも非常に重要な問題で、死者たちにとって本物の供物、または永遠に消費できる模造品の供物は欠くべからざるものでした。エジプト人は、表現されたものは本物に等しいと信じ、死者の傍らに3次元の模造品を置くだけで、表現された食べ物が呪術によって、本物の供物になり、しかも好きな量を永遠に得られると信じていました。ここでは、葬礼の食事に頻繁に登場するサラダ菜とエジプト人が非常に好んだガチョウでメニューを構成しています。サラダ菜は、その細長い形と長い葉から「ロメイン・レタス(Lactuca sativa, var. longifolia)、日本名タチチシャ」であるとわかります。ガチョウは、羽をむしり臓物を除去して、焼くだけの状態で供えられています。

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