みなみ/女優。映画や舞台、テレビドラマなど幅広く活躍する。『乱暴と待機』(2010)、『アフロ田中』(2012)など出演作は多数。また、個展のほかアートイベント『シブカル祭。〜パルコの女子文化祭〜』(2011)に参加するなど、美術作家としても活動している。

1.鑑賞システム「古代ギリシア世界」。鑑賞するうえでの基礎知識となる、古代ギリシアの地図や年代について解説。 2.タッチパネルの鑑賞システム。本展のメイン作品《アンタイオスのクラテル》をモニター上で作品を360°回転させ、絵柄の解説を読むことができる。このシステムは、2014年にパリ・ルーヴル美術館へ設置予定。 3.《休息するヘラクレス》。「筋肉の描写がすごくきれい」と美波さん。 4.美波さんが「展示作品の中でいちばん印象に残った」という《ディオニュソスの仮面》。現在は退色しているが、デジタルキャプションでは制作当時の色彩を再現した画像を観ることができる。 5.6.古代ギリシアの宴会を再現したアニメーション映像を投影した空間で、作品の世界を“体験”できる鑑賞システム。

古代ギリシアの息吹は、現代にもちゃんと残っている。

 美術館で音声ガイドを聴いたりすることも多いのですが、今回の展示では、作品前に設置されたタッチパネル上で作品の画像を拡大し、細部まで観察できるようになっていたりして驚きました。ひとつの作品に対して、いろんな見かたが用意されているというか……。作品を、すごく吟味して観ることができたと思います。
 展示作品の中でいちばん気になったのは、≪ディオニュソスの仮面≫。粘土製であまり厚くないのに、2000年以上前に作られたものがあんなにきれいに残っているのが不思議で。ミュージアムラボのスタッフに、発掘当時はバラバラになっていて、それを復元したものだということを聞いてさらに感動しました。修復の技術ってすごいんですね。
 古典美術は、昔の考えかたや現代とのつながりを学べるところが好きです。たとえば今回の展示作品では、クラテル(写真上)が使われていた宴会は当時「シュンポジオン」と呼ばれていて、それが現代の「シンポジウム」の語源になっていたり、オリンピックで受賞者に与えられる月桂樹の冠がクラテルに描かれていたりと、古代ギリシアの文化がさまざまなかたちで現代に残っていることを知りました。そういったことがまだまだたくさんあると思うと、世の中っておもしろいですよね。
 そういえば以前、神話を題材にした野田秀樹さんの舞台『ザ・キャラクター』に出演させていただいたときに、神話について調べたことがあります。でも、あまりにも深くて……それに、伝承された時代や地域によってストーリーが違ったりするんです。「究める」ところまでは到達できなかったのですが、今回の鑑賞を通してまた興味が出てきました。

寂しさを埋めるために始めた絵画は、私に居場所をくれた。

 18歳のときに初めてひとり暮らしをして、すごく寂しくて……それで、絵を描き始めたんです。どこに行ってもあたふたしてしまう私でしたが、絵を描くことで自分のリズムがうまくつかめるというか、落ち着くというか……「居場所」ができた。それに、ゆっくり自分と向き合えるので考えもまとまるんです。
 でも、「ここは黄金比が使われていて、この比率だから美しい」とか、理論的に絵を観たり描いたりすることは苦手。以前、絵画教室に通ったこともあるのですが、添削で描き加えられたりするのがすごく嫌でやめてしまいました。もちろん、きちんとした技術が身につけられたら、表現の幅が広がるだろうな、とは思うのですが……。だから、以前観たフジコ・ヘミングさんのドキュメンタリーで「人間は機械じゃないんだから、自分がしたいことをきちんと表現することが重要で、その過程では間違いがあったっていい」という言葉を聞いたときは、すごく気が楽になりました。
 今では、仕事の現場にもペンと紙を持って行って、暇さえあればずっと絵を描いています。自宅では油絵も描いているのですが、油絵具って、乾燥の程度で発色が変わったり、乗せられる絵具の量が限られたりして、まさに「呼吸」しているものなんですよね。思い通りにいかないときもありますが、その分夢中になってしまって。ひとりの寂しさを紛らわすために始めた絵画は、いつのまにか生活に欠かせない、身近なものになっていました。

絵画と芝居は「冒険」のようなもの。 美術鑑賞が、そのエネルギーになる。

 私にとって芝居と絵を描くことは、とてもよく似た行為です。「居場所」を作ってくれるところと、それから……「任せる」というところが。
 たとえば、「ケンカの最中なのに、相手の表情がおもしろくて思わず笑ってしまう」みたいに、他人と関わる中で予想外に感情が変化することって、ありますよね。私は、芝居でも相手との会話や意識のキャッチボールを大事にしたいので、台本に書いてあるのとは違う感情を抱いた場合には、無理にコントロールしようとせず、その感情に従った芝居をすることがあります。頭で考えずに、目の前で起こっていることを受け入れながら、自分の感情にゆだねていくんです。
 絵を描くときにも、同じような感覚があって。構成や色をあらかじめ決めることはせず、そのときの欲求に従って自由に描く。芝居も絵も、「任せる」ものであり、辛くもあり楽しいもの……それは、いわば「冒険」のようなものかもしれません。
 役者として、美術作家として、次の段階に進むためには、もっと他人と関わることが必要だって、最近思うんです。人と話し、人の人生を知り、人に興味をもつこと。他人と関わらなかったら、誰かの人生を理解して演じることもできません。だって人は絶対に、ひとりでは生きていけないから。
 美術鑑賞も、作品を通して作家という「他人」を知る行為です。意識的に表現しようとしなくても、作品には作家の個性や思考が現れるものですよね。だから美術作品を観るときは、画法や技術ではなく、作家がどんな環境で、どんな気持ちで描いたのかということに興味を引かれます。それを自分にフィードバックし、刺激を受ける。また、すばらしい美術作品や映画を観ると、悔しさとうらやましさが混ざってもやもやした気持ちになり、それが「自分もやりたい!」という原動力に変わります。私にとって美術鑑賞は「吸収」であり、「エネルギーのもと」。そこで得たものを、芝居にも、作品作りにも生かしていきたいです。