こうのいけ・ともこ/1960年秋田県生まれ。東京芸術大学美術学部卒業。絵画、彫刻、アニメ、絵本等の手法で現代の神話を壮大なインスタレーションで表現。森や街といった環境のなかで、独自の地図をつかって作品の中枢にある「遊び」へと観客を巻き込むなど、他に例を見ない創作活動は国内外で高い評価を得ている。2006年「第0章」大原美術館個展、’09年「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」東京オペラシティアートギャラリー個展(霧島アートの森へ巡回)他多数。

© Courtesy the artist and Mizuma Art Gallery

シラ-谷の者 野の者
2009
墨、胡粉、金箔、雲肌麻紙(襖)
182.0 x 1632.0 cm
撮影:永禮賢

© Courtesy the artist and Mizuma Art Gallery

アースベイビー
2009
ミクストメディア
サイズ可変(本体:310.0 x 170.0 x 234.0 cm)
サウンド・デザイン:フィリップ・ブロフィ
撮影:永禮賢

美術館が灯台になれたら、
生きている場所として機能する。

── 絵を描くこと、作品を作ることは、鴻池さんの日常にどのように寄り添っているものでしょうか?

私は自分が“生きる”ということがまず切実にあります。ご飯を食べて、ちゃんと生活していくことが第一。もしご飯を食べていくことができなければ、作品制作も辞める、そんなスタンスで活動してきました。主体が生活にあるんです。例えば作品制作も特別なことではなく、生活の一部として、「ちょっと、しようがないからやるかな」みたいな、夏休みの宿題を仕方なく片付ける子供のように、食卓の端っこで作っているぐらいがちょうどいい(笑)。いわゆる画家のような構えたアトリエは、逆にやる気がなくなってしまって、私には向いていないんですね。

── 鴻池さんのあの圧倒的な作品の世界観を描くには、相当にストイックにご自身を追い込んで、また、制作に没頭できるアトリエも持っているのだろうなと想像していました。なので、このお話はちょっと意外です。

そう言われることもよくあるんですが、違うんです。自分自身、「それはなぜだろう?」と考えたんですが、そのときに自分の弱点が浮かびました。私の弱点は、束縛なんです。例えば「少しここに座っていなさい」と、みんなが簡単にやれるようなことをでも、抵抗感がある。だから私はその弱点をみんなと一緒の時には隠すように、ごまかすように生きてきたので、作品を作ることも積極的に何かを表現しているという姿勢ではなく、うーん……、例えば、普通に生活をしていても、人それぞれその“普通”は少しずつ違ったりするものじゃないですか?その他者との“違い”はかなりあったのですが、生きるためにはその“違い“さえもまっとうなものとして、世の中に証明していく仕事が、それが絵を描くということだったではないかなって。それは謙遜とかではなく、本当にそんな気がしています。

── アートとご自身の日常が切り離されていないんですね。

芸術やアートという言葉を聞くと、ちょっとこう身構えたり、緊張したりすることがあると思うんです。でも先ほどの“生活が第一”の話じゃないですけど、生活と密接したなかにあるアートを拓いていきたいし、実際それを自身の活動のなかでやっているようなところがあります。その生活という卑近な感覚は、案外と日本のアートシーンの次なるヒントになるんじゃないかな?とも思うんです。

── そのヒントについて具体的にいうと?

これまで日本は、“大変貴重なお宝を見せる”という感覚で、美術品を丁重に設置して展覧会を開いてきました。でもこれからの時代、その一方通行的スタイルだけでは、鑑賞者は納得しないと思うんです。お宝としてではなく、鑑賞することにより、自分の生活が切実にアートと関わり合っているという実感を持てるかどうか。それが今後、アートに対する大切な価値基準となるような気がしています。そこを表現し定義づけていくためにも、日本の美術館の伝達方法、鑑賞スタイルは変わっていく必要があると思うんです。

── 根本的なところで、美術館の役割について、鴻池さんはどう考えますか?

美術館は灯台のような人間生活のランドマーク的役割を持ったらいいなって、ふと私は思うんです。人が朝、家を出て、夜、家に戻るまでの間の道しるべ的な存在。つまり美術品を観ることが最終地点ではなく、その美術館という灯台を生活の中で経由することで生まれ、感じたすべてが、その人にとっての、引いては文化という見えない大切なコレクションとなっていくような……。もともと見えないものとのやりとりに関して、日本人は得意だと思うんです。ずっと昔から自然と対峙し自分たちが生きやすいように見えないものと交信しながら、歌を作り、踊り、文字で表現してきていますから。美術館が灯台になれたら、きっと単に絵を見せる場所ではなく、今よりもずっと、生きている場所としての機能を持ってくるはず。私自身も、これからの時代に何ができるのか、自分の作品とともにもっと考えていきたいです。

アートは、人の生き死にに
一対となって存在している。

── アーティスト活動する以前、鴻池さんは玩具のデザインを長くされていたんですよね。

芸大を卒業した後、すぐ玩具会社に就職して、玩具のデザインをしていたんです。なぜ玩具だったかというと、遊びながら楽しくやっていけるんじゃないかという安易な考えと、本物じゃなくて、それこそ“ごっこ遊び”でいいような思いとかがあったんですね。玩具はすべてが大人の世界のシミュレーション的な、ダウンサイジング的な要素があります。ごまかすということも含んだ上での子供っぽさという“遊び”の部分に、きっと自分に一番近いところを感じて、そういう仕事に入ったのだと思います。

── その玩具会社ではどんなものをデザインされていたのですか?

その後雑貨や家具、とにかく生活の中のモノというモノは何でもデザインしました。それは自分にとって、とても刺激的だったし、何より日本がモノを作る情熱に溢れていた時代です。今の活動するようになったときに、「デザインとアートの違いは?」ってよく質問されるんですが、まず、作っている本人には何の違いもありません。私が考えるデザイン概念とは、キレイで快適、居心地が良いなど、美しいというベクトルで社会と共存していくもの。それに対してアートはその方向性だけでは納得がいかず、そこから余分にこぼれ落ちてくるもの。言葉にするといわゆるネガティブな要素かもしれませんが、汚い、悪い、弱い、駄目なもの、それらが同時に存在して成立するものが“作品”と呼ばれ、アートではないかと。実際私も自分のなかの過剰なものが作品になっています。作品というと、私はそもそも作家のモノローグな表現だけでは成立しないものだと思っているんです。

── 成立しない、というと?

特に美術館などで行われる展覧会は、作品を展示する作者側に主体性があり、観客がそれを受け取ると言う一方通行的な関係で成り立っていたようですが、これからの時代、それでは立ち行かなくなっていくと思います。なぜなら近代から現代にかけて、人間がそれまでなかった個という概念を手に入れ、個々の多様化が急激に加速し、観客ひとりひとり、作品に対する見かたや感じ方が違っても、すべて容認される社会に変化してきたからです。同じ絵画でも、観客が変わったら、絵画の中身そのものが変わってしまうくらいに。つまり私の作品には作家のメッセージもなければ、そこに何か教訓めいたこともなく、作品を鑑賞した瞬間に観客が何を受け取り、何を感じるのかがすべてになってしまう。その人自身が持つ内面的な物語でしか、私の作品も語られることはないんです。そういう意味では同時代の大きな共感というものが喪失し、観客にとって、一見自由でいて逆にとてもシビアな時代になっているかもしれません。作家は表現の中に伝達メディアを介在させることは必須で、観客はそれまで培ってきた自分のバッググラウンドと自分の言語で作品を読み解かなくてはいけなくなります。

── 作品を語ることは、自分を語ること。それは作家に限らず、鑑賞者にも当てはまるのかもしれません。

あたりまえのことですが、どんなに立派な美術品でも、1人の人間の生命、生きるということを目の前にしたら、非常にちっぽけなものだということ。人間の生き死にに対して、アートは非力です。だけど、生き死にに一対となって存在しているのもまた、アートだと思うんです。

── 例えばそれを実感したのはどんなときですか?

私は毎日、“この目の前の1枚の絵を描き切ったら、描くことをもう終わりにしたい”っていつも思っているんです。でも実際、なんとか描き終えると、また新しい課題が出てきてしまう。安心や解放感に浸れるのは、ほんのつかの間。結局その繰り返しでこれまでずっと描いてきました。大げさでもなく、本当に毎回止めたいって思っているのに。でもそれがきっと、人が生きていくということなんでしょうね。みなさんにもそれぞれ生活や仕事をするなかで、そういう部分ってきっとあると思うんです。だから一緒。みんな見えないけれど結構繋がっています。