大抵のひらめきは、
シャワーを浴びながら。
—シャワーヘッドと伺って、最初意外なものでびっくりしたんですが、プロダクトとしての佇まいを考えていくと、名和さんらしいなあ……なんて思うようになりました。
僕にとって、シャワーの時間は重要です。朝、夜限らず浴びているときにアイデアがぱっと浮かんだり、それまで抱えていた課題が解決することが多いんです。だから出張先のシャワースペースも見逃せませんよ。昨年、『アジアン・アート・ビエンナーレ』でバングラデシュへ行ったときも、「多少料金が高くなってもいいから、シャワーだけはしっかり完備されたホテルで」ってお願いしましたから。僕、きっといつも眠たいんです(笑)。シャワーを浴びることで目覚めているような感覚なんだと思います。
—名和さんの創作の原点とはなんですか?
今の自分の原点を辿ると、それは大学(京都市立芸術大学)で彫刻科に進んだことが大きかったと思います。絵も好きだったので、最初は油絵学科に行こうとしていたんですが、当時から絵に限らずなんでも作りたいという想いも同時にあったので、最終的には全て学べる彫刻科に進みました。
—彫刻科で全部学べるっていうのがすごいですね。
京都市立芸術大学の彫刻科はミクストメディアな表現を受け入れてくれる学科だったんですよ。例えば「音」を素材と考えてもいい。その解釈の柔軟さがいいなって。そのなんでもありの状態で考えるのは今も変わらないですね。また在学中に交換留学や助成プログラムなどで、海外に滞在した経験も大きいです。特にロンドンに居た頃はヨーロッパを旅しながら、古いものから現代のものまで、様々なアートを見て回ったんです。その経験によって、日本で見てきたものと海外で見たものとを相対化することになった。結果、物事を俯瞰して見るようになりました。
—俯瞰で見る以前は、どんな思考だったんですか?
それまでは「何を作るべきか」と、作り出すモノ(造形物)単体のことばかりに集中していたんです。だけど単体ではなく、モノが生まれる背景、関係性、見た後に残る感覚……。そして日常や社会生活と自分の作品をどんな風にリンクさせていくのか、といった発想に変わっていって。それに気づいてからは、自分にできることが無限に広がったように感じます。
—普段、作品に関するアイデアはどうやって抱えていますか?
アイデアは思いついたら書いていきます。書くための文房具はたくさん持っていて、たくさん使います。子供の頃から文房具が大好きなんです。大学生の頃は、ボールペン500本、紙も5000種類は集めていて、両方使って、ドローイングしながら一番いい組み合わせを探ったりしていました。もっとさかのぼると、小学生のときにはすでに紙とインクに異常にこだわってましたね。例えば手塚治虫さんが使っていた紙やインクを入手して、自分も真似して描いてみたり。手塚さんだけでなく、藤子不二雄さんや大友克洋さんの使っていた組み合わせを調べあげて真似したりしていました(笑)。今はあまり使われていないようですが、昔は漫画用のペンいっぱいあったんですよ。それも好きで。
—今、大切にしている感覚ってなんですか?
常にニュートラルな状態、意識であることが大切だなって。何かのカルチャーやカテゴリーみたいなものにはまって、それにずっと特化して作り続けるということも確かにあるけれど、僕はずっと動き続けていたいから、どこにも留まらないと決めたんです。逆に逃げ続けるというか、はまろうとしたら違う場所にいく。常にニュートラルな場所を保つ。といったような自分を防御するやり方をいろいろと動いている間に見つけたんですよね。
—名和さんの作品は名和さんの作品であるほかない、というか、何かのカテゴリーに属すことのない圧倒的な印象がすでにあります。
僕の作品は、あまり“日本人であること”って関係ないと思うんですよ。それは日本人を売りにして作品を作りたくないっていう、僕自身の反発もあるんだと思うんですけど……。だからそういう意味でもニュートラルな状態を保つために、海外在住の経験は役立ったんじゃないかなって思いますね。
—最後に近況を教えてください。
昨年、宇治川(京都市伏見区)沿いの古い工場(サンドイッチ工場だった!)をリノベーションして、創作のためのプラットフォーム「SANDWICH」を立ち上げました。風通しも良く、周りの環境が本当に気に入っていて、自然と人も集まってくる。それでここをクリエイティブプラットフォームにしようと思ったんです。海外からの友人が来ても宿泊できるよう、ベッドルームも用意しました。多くの縁によって生まれたつながりでチームを作り今、様々なプロジェクトが進行中です。もちろん、シャワースペースも完璧ですよ。