優れた美術は、
解剖学に関係する
──「美術解剖学」とはどんな学問なのですか?
一口で言えば、主に人体を中心に生物の解剖学的な構造を、美術制作に応用するための学問です。日本では私が教えている東京藝術大学の他、主に美大で学ぶことができます。
美術解剖学の授業は、基本的には医学部の解剖に近いものです。ただし人体の解剖は医学部でないとできないので、東京藝術大学では学部生にはスライドなどで説明し、大学院生は医学部での解剖実習を見学させてもらいます。
医学での解剖は病気やケガを治療することが目的ですが、美術解剖学の目的は絵や彫刻を制作するために体の仕組みを知ることです。具象美術には風景や静物などのモチーフがありますが、その中でも人体は古代から今に至るまでもっとも重要な画題です。抜きんでた造形を目指す芸術家にとっては実際に人体を見るだけでなく、骨格や筋肉のつき方を知ることが必須なのです。
── 美術解剖学はいつごろ始まった学問なのでしょうか?
美術解剖学は17〜19世紀のヨーロッパ美術アカデミーでは必修に近い科目だったんです。その源流はルネサンス美術にあります。ミケランジェロも解剖をしていましたし、レオナルド・ダ・ヴィンチは生涯に30体以上の人体を解剖しました。
日本には明治維新以後、西洋美術が紹介されるのと一緒に美術解剖学も導入されました。東京藝術大学では開校後まもなく美術解剖学の講座が開かれていて、それを先導したのは学長の岡倉天心でした。彼は純粋な医師では芸術家を教えるのは不足だと考え、軍医・作家であり、東京国立博物館の初代館長も務めた森鷗外にその講義を依頼したのです。その伝統は連綿と続き、私で7代目になります。
── その前の、古代ギリシアや古代エジプトでも卓越した人体表現がなされていたように思います。これも解剖が関係しているのでしょうか?
その頃は美術解剖学という名称はついていなかったと思いますが、解剖やそれに近い行為が芸術表現を大きく進歩させてきたのは間違いありません。芸術はすべて解剖学に関係してきた、と言ってもいいでしょう。たとえばルーヴル美術館所蔵の《書記の像》と呼ばれる彫像は極めて写実的で存在感のある、古代エジプト芸術の傑作です。それはおそらく、古代エジプトの人々がミイラを作っていたからだと思います。王など位の高い人はミイラが腐らないよう内臓をとり出して処置します。位の高くない人も簡略化された方法ですが、ミイラにすることはよくありました。ほとんど日常的に解剖が行われていたんですね。
さらにさかのぼって、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画の高い画力も解剖のおかげではないか、と私は考えています。というのも鹿や牛は地を駆ける足音まで聞こえてきそうな圧倒的な迫力で描かれているのですが、その脇に描かれた人間は思わず笑ってしまうほど下手なのです。なぜこれだけ差があるのか。狩で獲物を捕まえるため真剣に見ていたから、ともいわれていますが、人間だってきちんと見れば同じぐらい上手に描けるはず。そうではなくて動物は食べるために解体する、つまり解剖して体の中身まで見ていたから、それだけ真に迫る絵が描けたのだと思います。
── 近現代美術で解剖の影響があると思われるものはありますか?
たとえば、ゴッホやピカソが十代の頃に描いた絵はとても正確なデッサン力で描かれています。ジャン・ミッシェル・バスキアの絵も子供の落書きのようですが、彼は「僕の絵は適当に描いていると言われているけれど、考えずに描いている線は1本もない」と言ったことがある。彼の原点は十代のときに交通事故で入院したとき、母から与えた解剖学の本でした。母は将来、息子に医者になってほしいと思ってその本を渡したのですが、バスキアはイラストのほうに夢中になってしまった。後にバスキアは、その著者であるグレイという解剖学者の名前をつけたロックバンド《グレイ》を結成しています。
生命とは何か、死とは何か。
美術解剖学が行き着く場所
── 布施さんは古代ギリシア美術を見に実際にギリシアにも行かれたそうですが。
美術解剖学に携わっている人間として美術、とくに人体造形を究めるには、古代ギリシア美術は基本であり、欠かせないものだと思ったのです。たとえばアテネ国立博物館のゼウス像(ポセイドン像との説もあります)では筋肉のつながりなどが実に正確に再現されている。外側から見ただけでなく、中身もわかっていないと作れない彫刻です。
この彫像を始め、古代ギリシア彫刻では完璧な人体の表現をめざしていました。その背景には単に美を追究するだけでなく、宗教的な意味合いがあります。古代ギリシアで行われていた古代オリンピックではゲームと宗教とが一体化していて、ゲームに勝つだけでなく、美しく鍛えられた体があってこそ神に近い英雄としてあがめられました。強さと美とが密接に関係していたのです。
── 今ほどいろいろな技術が発達していない古代では、人体という縦長の像を立つようにするだけでも大変だったのではないかと思うのですが。
人や彫像が立つには重力とのバランスや関係性が重要になります。古代ギリシアでもさまざまな工夫がされてきました。神殿によく見られる女性の形をした柱(女人柱)では首が細くてそのままだと折れてしまうので、肩に垂らした髪で補強していることがあります。木や柱によりかかるポーズの彫像もよくありますね。
もちろん古代ギリシア美術の作家たちも最初からリアリティのある表現を獲得していたわけではありません。初期のアルカイックと呼ばれる時代の彫刻はただまっすぐ立っているだけか、足を一歩前に出しているだけのものがほとんどです。それが紀元前380年ごろ、パルテノン神殿が造られるころになって「コントラポスト」と呼ばれるポーズが出てきました。片方の足に重心をかけ、体をやや傾けたこのポーズは、作るのに高度な技術が要求されますが、より生身の人間らしい表現ができます。このときに肩や腰、膝などが全体でバランスがとれていると安定しているように見えます。またあえて安定させずに動きを感じさせるような彫刻も作られているのも面白いと思います。
── 美術解剖学は絵画や彫刻を制作する人にとって必須であることがわかりました。アーティストでなくても、鑑賞する上でも役に立つものなのでしょうか?
彫刻はもちろん、絵画でも重力と体との関係性を見抜く感覚を身に着けると、作品がまた違って見えてくると思いますよ。とくに重要なのは骨格です。そのときに、肩など人体の主要な点をおさえるようにすると、骨の存在をリアルに感じることができます。アーティストと鑑賞者の両方が美術解剖学を学ぶことで、作品を挟んでお互いにより深い対話ができるのではないでしょうか。
── 布施さんは30年間にわたって美術解剖学の研究をされてきて、たくさんの解剖の現場に立ち会ってこられたと思いますが、死生観が変わるということもありますか?
確かに、生命のない人体に日常的に接していると、人間の見方も変わってきたように思います。“人が立って歩く”。普段なら気にも留めない動作が驚くべきことに思えてくるのです。それは赤ちゃんが立って、歩き始めたときの感動に似ています。今回、ミュージアムラボの第10回展に出品されるヘラクレス像も人間が立つことの意味を考えさせてくれる、感動的な作品です。見ていると改めて、人間は立っているだけでも充分に美しいのだと思えてきます。
死の世界を見ることで、生の世界がより鮮やかに見えてくるという側面もありますね。戦争があると平和な時代の大切さが、病気になると健康のありがたみが身にしみるのと同じです。美術解剖学を学んでいると生命とは何か、死とは何かといった根源的な思想・哲学に行き着きます。それはすべての芸術表現の基礎であり、芸術を鑑賞する上でもとても重要なことなのです。