建築にとって、
一番ピュアな状態とは何か。
── 建築とアートは分かちがたい関係ですが、藤本さんが建築家として初めてアートと向き合った仕事について、教えてください。
アートのレンジは本当に面白いですよね。僕が建築家として最初にアートと向き合った仕事は、趣味でアートをコレクションしている方の住宅(『T House』 2003年-05年)でした。それも僕らにとって初めての専用住宅。だからチャレンジでもあったんです。
── 設計するにあたって、どんなコンセプトを?
お施主さんは本当にアート好きで、少しずつ自分の好きな作品を集めてきた人でした。お会いしたときに話されたのは「小学生と中学生の子供がいて、絵を飾れる面白い家が欲しい」ということ。あとはごく一般的な要望のみで、そのほかのすべてを任せてくれたんです。お施主さん、もともと僕の作品を見ていて、「この建築家に依頼したら、面白そう」だと思って下さっていたみたいなんです。だから「どんな家を提案してくれるんだろう?」と、アートをコレクションするときに比較的近い感覚で、とても楽しみにしてくれていたようです。
── そんなお施主さんの期待に対して、藤本さんはどのように応えていったんですか?
絵を飾れる家という要望に対して、僕らはやっぱり、美術館の展示室のような白い箱を作って、作品を飾るスペースを作ることを考えました。その空間のなかで、人がどう暮らしていくのか?という面白さがありましたから。けれどあらゆる方向性を想像するなかで、考えが変わっていきました。まずは、生活の場所が第一。その上でアートはその生活にさりげなく入り込んでいる感じがいいのではないか?と。飾る作品も季節や気分によって、どんどん入れ替えてもいけるような空間を作りたいと思いました。
── 具体的にはどんな空間を?
お施主さん家族4人はとても仲が良さそうでした。そこで、それぞれの部屋は仕切られているようでいない、まるでひとつにつながっているような暮らしができる住宅をイメージしました。それが歪んだ輪郭のプランのなかに部屋同士が隣り合い、壁は中央に向けて立っている案です(『T House』ダイヤグラムを参照)。各々の壁は、展示の壁になります。そして壁に絵を飾ったときには、その部屋だけでなく、一番遠い場所からも見え隠れするようにしました。例えばリビングでは見えていなかった絵が、トイレに移動するときの廊下からスッと目に入ったりするように。人の動きや視点に合わせて、ひとつの作品の見かたが絶えず変化していく。そうすると生活とアートが自然と溶け込んでいくのではないかと、お施主さんに説明しました。最初はすごく驚かれていましたが、説明するなかで、とても共感してもらえたのは嬉しかったですね。
── ダイヤグラムや室内の写真を拝見しているだけでも、非常に有機的な空間なことが伝わってきます。
実は竣工のとき、僕自身も面白い体験をしました。お施主さんが地元で有名な高崎だるまを神棚に置いたんですけど、これがまたいい。アートに感じてくるんです。またキッチンの上には素焼きのオブジェがひとつ。とても素敵だったので、コレクションのひとつだろうと「どなたの作品ですか?」と尋ねたところ「それ、息子が作ったんですよ」と(笑)。まさに生活とアートの距離が近づいて、混じり合っていた。すごく面白かったですね。
── 藤本さんは、建築という名の物体はもちろん、そこで味わう“体験”も同時に作り出していたんですね。
人が家で生活するなかで溢れ出てくるもの。その溢れ出るものとアート、そして人との関係をつなぐための、非常に控えめな枠組みをつくること。それが僕らの役割だった気がしています。きっと建築にとって一番ピュアな状態というのは、その建築が我々の日常の風景となり、中ではそういう溢れたものがあるときの“状態”を指すのではないかと。これら『T House』での体験や気づきは、未だに自分が建築を設計するときの根っこになっていますね。
建築とは、果たして
アートなのか?
── 建築空間がアートの領域に入っていると感じることは、藤本さんはありますか? 率直な考えを聞かせてください。
昨年、建築とアートの違いについて考えさせられることがありました。きっかけは、ドイツ・ケルンの屋外彫刻公園のなかに小さなパピリオンを作らせてもらったときのこと。このプロジェクトに呼んでくれたキュレーターは「これはアートではなく、建築にならなくてはいけない。壁の高さが重要だ。この高さじゃないと建築にならない」というようなことを言っていたんです。
── そのキュレーターの話を受けて、実際に藤本さんが作ったものとは?
そうして僕らが作ったのは、壁の高さが7メートルほどある屋根のない白い壁の空間。壁には穴を3つ空けてそれが窓のような機能を持ち、また入り口をひとつ設けたのでそこから中に入れるようにしました。実際に出来上がってみると、確かに壁の高さは重要でした。けれど何が決定的な違いなのか、よくわからない(笑)。ただ、僕自身このパビリオンを巡って歩き回っているなかで、いい意味でなんともとらえどころのない感覚を味わうんです。
── とらえどころがない感覚について、もう少し詳しく聞かせてください。
一回りして戻ってくるとまた違うものになっていたり、あるいは常に新しい入り口を探してしまうような感じ。そんな話をクライアントとしたら「いつ訪れても、ここは毎回表情が違うんだよ」と、同じことを言っていて。意図して作ったというよりも、結果的に立ち上がってしまったコトがある。とにかく白い壁から無限の何かが生まれていた。そのときに僕は「ああ、これは建築だな」と初めて実感しました。
── 面白い実感ですね。
とはいえ、「建築はアートではない」。そう言い切ってしまうことは、建築家の責任としてどこか“いかんな”と僕は思っているんです。ある場所に人の目につくでかいものを作ってしまうわけですから、目の前を偶然通りすがった人にも、わざわざその建築を観に来てくれる人にも、不思議な高揚感というか、ある感銘をちゃんと作り出せる建築じゃないといけない。と同時にその場所を使う人々には、日常の延長線上にある新しい体験を作り出すこと。その両方がないといけないという気がしているんです。
── その両方を携えたときがアートであると……?
そして建築が建築として、最初は人や企業の個人的な目的によって生まれたものだったとしても、その後、作り手である僕らやクライアント、その場所を利用する人や街とともに最もいい形でその建築が成長しきったときに、初めてその建築が時代を超えてある特別な存在になる気がします。その状態こそ、言葉を変えれば、“アート”と言えるのかもしれません。僕はそう思っています。
柔らかな感覚と力強さが、
それぞれに損なうことなく共存する。
── 話は逸れますが、藤本さんの感性を育んだモノ・コトってなんでしょう?
親父の影響は大きかったと思います。親父は医者なんですが、まあ本人が言うには、医者の道に行くか、美術の道に行くか迷うほど、もともと絵を描くことが好きな人で。結局医者になった後も、しばらく迷い続けていたようです。ただ精神科医になったので、治療の一環で患者さんと絵を描いたり彫刻を作ったりしていたこともあって、家の本棚には、美術書や作品集などが常にたくさん並んでいたんですよ。そんな環境で僕は育ったので、僕自身自然と粘土をいじったり、絵を描いたり、子どもの頃から何かを作ることがとても好きでした。
── 藤本さんはそのまま美術の方向へは進みたいとは思わなかったのですか?
そうですね、自分がアーティストになるのかというと、そのリアリティは持てませんでした。だから大学に進学した後も、自分が将来何になりたいのか定めるのがちょっと嫌で、なんていうか、ぐずぐずと大学生活を送っていたのです。でも、大学2年生にあがったときに、いよいよ専門学部を決めなくてはいけなくなって……、半ばいきがかり上です。自分が主体となってものづくりをしたいとは思っていたので、それができる学部をと言えば、建築だった。だから僕は工学部建築学科に籍を置いたんです。
── 意外な角度から、建築という道が開けたんですね。
当時、建築家と言えば、アントニオ・ガウディしか知らなかったですからね。よくまあそれで「建築をやる」と言ったもんです(笑)。そのガウディを知っていたのも、親父がきっかけでした。小学校5、6年生のときに親父の本棚でガウディの本をたまたま見つけたんです。「すごいな、これ」と思った記憶だけは、今も残っているんです。そんな動機で建築学科に籍を置いたものの、いざ学んでみるとこれが意外と向いているなと(笑)。割とすぐにそういう感触を得られたんです。そうすると人は楽しくなるじゃないですか。以降、その連続によって、今に至っているという感じがするんです。
── ではその今、建築家としてふと考えること、感じることってありますか?
最近、自分がどういった建築を作っていくのか予測できないなと思うことがあるんです。去年、台湾タワー(台湾中部・台中市)の国際建築設計コンペティションで(最優秀作品賞を受賞。2017年完成予定)、僕たちはエッフェル塔以降のステレオタイプなタワー建築から脱却して、新しいモデルを作りたいと提案したんです。具体的には台湾のガジュマルと台湾島の形からインスピレーションを得て、樹木のように太陽の光が透き通った憩いの場を作り出す建築なんですが、高さが300メートルのものになるんですね。まさか、自分でもそんな高さのある建築を設計するとは、このコンペに参加するまでは思ってもみなかったですし、考えたこともありませんでした。だけど、そういうものを提案し始めている自分がいるというのは大きな変化ですし、それがいざ考えてみると、本当に面白いんです。
── それは具体的にはどんなところが面白いんですか?
それまで建築家として、自分のなかで蓄積してきたものと、全く自分の外にあったものの“間”にあったものが、意外な形でつながっていく感覚があるんです。僕が何を言おうが、高さ300メートルもあれば、その建築はそれだけで相当なインパクトと存在感になってくるわけですよね。ところがどんなに高く大きくても、主役はそこを巡る人々なんです。そういった公共の建物、それも特別な場所が引き寄せる人々の流れや、歓喜、ざわめきみたいなものが建築そのものにしていくことが、意外と面白いなと思い始めたんです。
── お話を伺っていて、藤本さんは本当に柔らかな感性で、有機的な循環を建築で表現されている印象が強くなりました。
柔らかな部分と、それに相反する部分も持っていると思います。というのも建築とは、どんなに柔らかな感覚でアイデアを突き詰めていても、そのアイデアを現実にうつすときには、コンクリートの固まりをもって、力強く作られていく宿命にあるんです。それは突然に、そしてとてつもなく暴力的なんですね。でもそれが、建築の面白さであると僕は思っているんです。そして、この柔らかさと力強さがそれぞれに損なうわけでもなく、共存するような建築の在り方を僕自身、探っていきたい。だからそういう意味で、僕はいつも極端な二重人格に駆り立てられたもののつくり方をしているかもしれません。