ふく・のりこ/京都造形芸術大学教授芸術表現・アートプロデュース学科教授。同大学のアートコミュニケーション研究センター室長。コロンビア大学で美術教育修士課程を卒業後、ニューヨーク近代美術館で研修。その後、ニューヨークでインディ・ペンダント・キュレーターとしておもに現代写真の展覧会を手がける。最近では国立新美術館で開催された『マン・レイ展 知られざる創作の秘密』(現在は大阪・国立国際美術館にて〜11月14日まで開催)の監修を行う。http://acop.jp/

京都造形芸術大学でのACOP授業風景

特別講師アメリア・アレナス氏のナビゲイションによるACOP

学生のナビゲイションによるアサヒビール大山崎山荘美術館でのACOP

学生のナビゲイションによる小学校でのACOP

学生のナビゲイションによる京都大学総合博物館で行なわれた古地図展でのACOP

アートは作品と鑑賞者の間に立ち上がる、
コミュニケーション。

—ACOPは「アート・コミュニケーション・プロジェクト」の略ですが、そもそも福先生にとって、アートとはどんな存在ですか?

まず“アート”と“アート作品”は違います。このふたつは混同されることが多いのですが、私は両者をはっきりと分けて考えたいんです。アート作品はモノ。しかも、基本的に作家が意図して作ったモノです。しかしアートは、モノではありません。アート作品を始め、何かをみることで初めて立ち上がる感情や考え……その現象そのものを私はアートだと思っています。

—ではその“アート”を通じて、ACOPではどんなコミュニケーションを?

「みる、考える、話す、聞く」という、私たちにすでに備わっている能力を、もう少しだけ高めながら、グループでのコミュニケーションを通じて、アート作品を鑑賞していきます。他者がいることで、ひとりではなかなか到達できなかった作品への解釈、新しい発見がそこに生まれていくでしょう? ACOPはそれを実感するためのプログラムなんです。

—福教授は大学の授業のなかで、ACOPを取り入れていらっしゃいますよね。実際どんな流れでACOPを進めていくのですか?

最初はその作品にまつわる知識や情報に頼らずに、とにかく隅々までじっくりと1つの作品を鑑賞する。そのなかで何かを感じたら、なぜそう感じたのかを考える。そうして湧き上がった自分の想いや疑問などをグループで話し合っていく、という流れです。

—作品を通して自分が感じたことは、すごく感覚的なことだったりもするじゃないですか。それを他者に伝わるように伝えるというのは、結構難しい作業ですね。

それをまたグループで行っていくので、話が作品から離れて脱線したりします。そのための調整役として“ナビゲイター”を必ず1人、グループのなかに置きます。ACOPにおいて、このナビゲイターという存在はとても重要です。作品と鑑賞者の間をより密接に繋ぐ役割を担っているわけですから。授業の前期は鑑賞者として経験を積んだ学生たちに、後期はこのナビゲイターになるトレーニングを行ないます。

作品の情報とは与えられるものではなく、
主体的に獲得するもの。

—ナビゲイターは実際現場でどんなふるまいをするんですか?作品のガイドをしたりもするのでしょうか。

そこに誤解があります。ナビゲイターは基本的にガイドのように作品にまつわることを伝える人ではありません。作品から発せられる何かと、鑑賞者が発する話をまず“聞く人”なんです。

—ナビゲイターと言えば、鑑賞者にとって必要な作品の情報を与えながら解説する…どちらかというと伝える側のイメージを持っていました。

情報が必要かどうか決めるのは鑑賞者側です。ACOPでは、情報とは与えられるものではなく、主体的に獲得するものだと考えています。その前提のもと、鑑賞者が必要とするタイミングで情報を与えるのもナビゲイターの仕事です。そのタイミングは、まず鑑賞者の話に耳を傾けることでしか計れませんから。

—今のお話を伺っていて、ナビゲイターは知識や情報を蓄えるだけでも、鑑賞者の話を聞くだけでも、絶対になれない。もっと大きな意味で人間力が必要というか、いろんな経験がないとなることは厳しそうですね。

ナビゲイターになるには何より鑑賞者としてしっかり育つことです。だからACOPの授業でもまずは鑑賞者になるための授業を重ねて、その後ナビゲイター(※1)としての訓練を積んでいきます。作品を鑑賞するときに求められる能力は、観察力、直感力、思考力、想像力…そして好奇心や個性、過去の経験の蓄積など、様々な力が必要です。この辺りのお話は伊達講師からもどうぞ。

伊達講師(※2)鑑賞者として自分がナビゲイトする作品と深く向き合って、作品が持つ様々な要素のどんなところに反応し、一体何をどのように考え、感じ取ったのか。ということをつねに考えられるようにならないと、ナビゲイターという立場に置かれたとき、鑑賞者が感じたことを追体験したり、想像することができないんです。またグループのときには、自分とは違う鑑賞者の意見もある種、素材にして、さらにその作品について考えるということをできるようにならなければいけません。そうしないとナビゲイターとして、その場を進行することはできないんです。

作品の見かたは作品側にあるのではなく、
自分の側にあるもの。

—お話を伺っていてナビゲイターは、つねに様々な鑑賞者の想いを受け入れながら次に進まなくてはいけない。この受け入れるって、簡単ではないですよね。やっぱりどうしても腑に落ちない他者の意見や考えにぶつかる時だってあると思うんです。

受け入れなくていいんですよ。“受け止める”の方がまだ正しいですね。例えば学生が私のもとへ何か話に来るとき、大体の場合、賛成をもらおうと気持ちでいます。「先生これについてはこう思うんですけど、どうですか?」と。それに対して私は「あなたを受け入れているわけでも賛成するわけでもないけれど、“これはおもしろいかも”とまず納得させて」と言っているんです。

伊達講師 福教授は同意や賛成ではなく、“納得”という言葉をよく使います。それはACOPでの作品に対する見かたに関しても同じ。「あなたはそう感じる。でも、私はそう感じない」というときに、単に「人は多様だ」ということで片付けてしまっては、その相手との関係性はそこで終わってしまう。そうではなくて、「私にはそういう風には見えないけれど、あなたの説明をもっと聞きたい」という姿勢によるコミュニケーションがあること。その上で、賛成はしなくても「確かにその説明を聞くと、あなたにそう見えたのは納得できる」というところまでいくことが、ACOPのコミュニケーションなんです。それぞれの見かたがある人たちがどのように関わっていくのか、ということが一番大切ですから。

—その“納得する・させる”のコミュニケーションは、日々の人間関係性においても、かなり応用がききますね。生きる上でのトレーニングになるというか。

アートの語源って知っていますか?

—えっと……わかりません。

“生きる技術”なんです。だから人が、人間(人との間)として社会で生きていくために不可欠なコミュニケーションも、まさしくアートと言えるでしょう?

“わかる”ってどういうこと?

—今までアートという言葉はなんとなく感覚として捉えていて、わかったような気になっていたんですけど、福先生の説明によって、よりリアルに自分のなかに迫ってきます。

生きる技術というと、大昔の人はもっとアートを体現していたと思います。それは歴史的なことから言ったら、もともと私たちは見る人であり、聞く人であり、作る人であり、踊る人であり、とすべてをこなしていたわけじゃないですか。職業としてではなく日常のなかに。いい意味でみんなが制作者であり参加者だったんですよ。けれど次第に貨幣経済などが登場して、それぞれ専門家が生まれるわけです。そうするとまずは作る人と見る人が別れていきます。こうして細分化されていき、私たちの日常からアートというのは、どんどん遊離して隔離された状態になっていきました。その隔離されてしまっているアートを、自分の日常のなかに取り戻していこう、というような話も、ACOPの授業ではします。あと、さきほど発言された“わかりません”ということでいうと、“わかる・わからない”ということも授業で話します。そもそも“わかる”ってどういうことだと思いますか?

—“わかった瞬間”に“考える”ということを止めてしまうので……。“わかる”とは結局突き詰めると“わからない”につながっているのかもしれない……?

その通り。“わかる”のではなく、“わからない”からこそ問い続けるんだ、ということを感覚で覚えている必要があります。私たちが受けてきた義務教育では、問いに対する答えを覚えることだけに集中してきたので、最初学生たちも当然わからないことは恥だと思ってしまうんです。だけどそれは決して恥ではない、ということを例えば『モナ・リザ』とか『ミロのヴィーナス』など、いわゆる誰もが知っていて、わかっているつもりになっている有名な作品を通じて授業をします。テーマは“これをわかるってどういうこと? ”。

—ACOPの授業を受けていたら、今までの自分の価値観が崩壊しそうです(笑)。

だから学生はACOPの授業を通じて一度つぶされてますよ(笑)。でも苦しいのは授業そのものではなく、そういう自分と向き合うこと。ACOPは“考えることを考える”授業を行っているんです。また、ACOPを通じてアート作品の見かたは作品側にあるのではなく、自分の側にあるということに気づいていくんです。そしてその見かたを取捨選択するというのも、突き詰めると生きる術。アートサバイバルなんです。

※1…ナビゲイターとして成長した学生は、全国の美術館や小中学校で鑑賞教育の担い手として出張ACOPも行っている。さらに卒業後は、教員や美術館の教育普及担当として、ACOPの経験を活かしながら様々な現場でコミュニケーションの大切さを伝え、実践している。

※2…伊達隆洋(だて・たかひろ)/京都造形芸術大学芸術表現・アートプロデュース(ASP)学科専任講師。2007年度より2年間、ACOPに参与観察者として参加。現在は、コミュニケーションという視点からACOPに参加した学生の分析を行い、ACOPを通じて生じる人の変化について研究している。